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2014年08月21日
東北
先日南三陸に行く仕事がありました。
2011年に発生した震災。
自分も2004年に被災した身として、他人事ではないと心配しながらニュースを見ておりましたが、1度も東北に行けませんでした。
それが3年経った今年、仕事ではありますがようやく足を運ぶことになりました。
新幹線から車窓を眺めていても、特に変わったことは無いように見える。
しかし、南三陸町に入り街の様子を見ると、その考えは一瞬で消え去りました。
南三陸町の防災対策庁舎。
津波によって骨組みだけになってしまった建物は、今でもそのまま建っています。
その姿を見た私は、写真を撮ることすらできませんでした。
あまりにも衝撃が強すぎたのです。
ニュースで繰り返し流された津波の映像。
しかしそれは映像であって、実際に見たものではない。
心の奥底で、現実と認めていないところがあったのかもしれません。
実際に目の当たりにして、本当にこの場で津波に飲まれ、亡くなった人たちがいるという事実を、強く刻み付けられた気がしたのです。
庁舎の骨組みが、「これが現実だぞ」と私に語りかけてきた気がして、
簡単に写真を撮ることができませんでした。
これは写真を撮るのではなく、自分の目で、心に焼き付けなければならない、と。
私が被災した新潟県中越地震。
最大震度7という災害で全ての機能は麻痺。
電気・ガス・水道のライフラインも断たれ、食料も手に入らない。
そんな私たちを支えてくれたのは、全国の人々の温かい支援でした。
秋も深まり、だんだんと寒くなるからと、毛布を送ってくださったり、
温かいものが食べたいだろうと、調理ができる車で現地に入り、カレーの炊き出しをしていただいたり。
そんな温かい皆様の助けに支えられ、今こうして生活を営めるのです。
自分も恩返しをしていかなければならない。
改めて身につまされる思いでいっぱいになりました。
全ての人々に、平和な、幸せな生活が、永遠に続きますよう・・・。
マッキー
2011年に発生した震災。
自分も2004年に被災した身として、他人事ではないと心配しながらニュースを見ておりましたが、1度も東北に行けませんでした。
それが3年経った今年、仕事ではありますがようやく足を運ぶことになりました。
新幹線から車窓を眺めていても、特に変わったことは無いように見える。
しかし、南三陸町に入り街の様子を見ると、その考えは一瞬で消え去りました。
南三陸町の防災対策庁舎。
津波によって骨組みだけになってしまった建物は、今でもそのまま建っています。
その姿を見た私は、写真を撮ることすらできませんでした。
あまりにも衝撃が強すぎたのです。
ニュースで繰り返し流された津波の映像。
しかしそれは映像であって、実際に見たものではない。
心の奥底で、現実と認めていないところがあったのかもしれません。
実際に目の当たりにして、本当にこの場で津波に飲まれ、亡くなった人たちがいるという事実を、強く刻み付けられた気がしたのです。
庁舎の骨組みが、「これが現実だぞ」と私に語りかけてきた気がして、
簡単に写真を撮ることができませんでした。
これは写真を撮るのではなく、自分の目で、心に焼き付けなければならない、と。
私が被災した新潟県中越地震。
最大震度7という災害で全ての機能は麻痺。
電気・ガス・水道のライフラインも断たれ、食料も手に入らない。
そんな私たちを支えてくれたのは、全国の人々の温かい支援でした。
秋も深まり、だんだんと寒くなるからと、毛布を送ってくださったり、
温かいものが食べたいだろうと、調理ができる車で現地に入り、カレーの炊き出しをしていただいたり。
そんな温かい皆様の助けに支えられ、今こうして生活を営めるのです。
自分も恩返しをしていかなければならない。
改めて身につまされる思いでいっぱいになりました。
全ての人々に、平和な、幸せな生活が、永遠に続きますよう・・・。
マッキー
Posted by 福田安美 at 20:08│Comments(0)